己の身に起きた出来事を自ら語ることによって、記憶の中でそれを配置しなおし、己にとっての意味を発見する、ということがある。それが物語だ。因果とは似て非なるものだが、このプロセスが、自分の中でその出来事を「納得する」ことにつながる。ここでもやはり同じ疑問に突き当たる。「納得」とは、どういう行為なのだろう。
自分の身に起きたはずの出来事を他人が語ると、自分が見たのとはまったく違う景色に見えることがある。どちらかが正しくどちらかが誤り、というようなものではない。物語だから、人によって配置の仕方も意味も違うのだ。客観的な事実などというものは、語りの中には存在しない。