こちらに来て驚いたのは、都会ではほぼ消えてしまった儒教的秩序維持システムが現役であることだ。具体的に言うと、長幼の序とか家柄とか性別役割とかである。びっくりするほど根強い。見ていると、これは必ずしも悪いことではないということが分かる。物事が性急に進められることがないので、誰かが置いてけぼりにされたり想定外の悪影響が出たりすることが少ない。補完するシステムとして、権力を与えられている層には倫理観が生きている。
ただしこの社会では、物事を前へ進めなければいけない時には、かなりの辛抱が必要となる。根回し、配慮、譲り合い、謙遜。きわめて儀式的なやりとり。これらの手続きがすべて済んでから、やっと実際的な話ができる。この儀礼的舞踏を眺めているのはとても面白い。が、この時間に耐えられない性急な人や、このシステムの中で不遇感を抱く人は、結局、孤高の立場を選ばされ、社会においては大きな仕事ができない。そういうシステムに見える。