いまどき驚くほどpolitically incorrectなCMについて、やくたいもなく考える。嫌いな人のことを、よせばいいのについつい考えてしまうのと同じである。本当は無視するべきなのに、頭から離れないのだ。だって、テレビで毎日、嫌でも見てしまうんだもん。
女性幻想をあそこまで確信に満ちて記号的に表現するからには、単なるウケねらいでなく、何らかの裏の意図があるはずだ、という前提に立って考えてみる。「新ジャンル、新登場」というコピー、金と紺の組み合わせという未だに新鮮味のあるカラーイメージなど、新しさの仮面をかぶせつつ、内容的にはきわめて古典的な物語を表現するのはなぜか。それは、対象商品が「見かけこそ新しいけれど本質は従来品と変わらない」ということを伝えたいがためなのである。つまり「ビールでも、ましてや発泡酒でもないけど、ビールの味がしますので安心してね」というメッセージなのだ。長いキャリアをもちながら新人女優でもある(しかも最近、古典的な武士の妻の役を演じて評価されたばかりの)人を起用したのもその一環なのだ。
そしてもう1つ、異様に近接したショット後に、走り去る彼女の姿が異常に小さいことに我々は気づくべきだ。彼女は実は「ちよみ」さんなのである。あれは、単なる古典的女性幻想を超えたファンタジーを表現しているのだ。それゆえに彼女は「待ってる〜」しかない。そう解釈しないと、あの理不尽さは理解できない。
ってことで。また意味のない文章を書いてしまった。