「光の指で触れよ」(池澤夏樹中央公論新社)を一晩で読んでしまいましたよ・・・急ぎの仕事があるってのに・・・ばかばか・・・はあ・・・。最近は日が長いね。4時にはもう明るくなるんだね。
思いつくままに書いておこう。
すばらしい新世界」でも思ったことなんだけれど、こういう作品を小説として積極的に受け入れる読者はきっと少ないだろうなあ、と思うくらい観念的な作品ですね。「家族とは何か」「仕事とは何か」。でも自分にとっては、この作家の話は観念的になればなるほど腑に落ちる感じがあるので、ぐいぐい読まされてしまいました。そもそも小説として成立しないような題材を、物語にしてしまっている。
たびたび繰り返されるのは、日本という国では人々が様々な規範によって縛られていて、主人公はじめ登場人物たちはいつも生き辛さを感じているという意見表明なんだけれど、それが私にはあまりしっくりこない。そこまでひどいかなあと思うけれども、それは私が十分適応している証拠かもしれないし、鈍いだけかもしれない。作者自身が外に出る人々の1人だから、強く言いたくなるのかもしれない。
それぞれの人物が生き生きと描かれる中で、美緒という女性だけはどうもはっきりしない。この女性について、記述のほとんどは独白であるわけだけど、どうにも人物像がはっきりしませんね。じゃあこの独白部分を削除しても良かったかというと、それは美緒さんがかわいそうだとも思う。美緒さんの側から見た事態の説明があるから、公平さが保たれるという側面があるので、あった方が良いのだろう。けれど、結局のところは作者がこういう女性に共感できなかったんだろうなと思う。アユミさんとか、樫村修子、芳村頼子とか、作者が描いてきた女性たちが持っている肉感が、美緒さんにはほとんど感じられないので。
意外にも岩手が舞台として大きく出てきて驚いた。「タマリンドの木」でもなぜか盛岡が出てきてびっくりした記憶がある。作者は岩手県に親しみがあるのかしら。
もともとは新聞に連載されていたということを知り、ネット上にある連載時の引用や感想を読んでみると、文章が単行本とはだいぶ違う。連載が終了してからかなり改稿されたような感じを受ける。どんな作業が行われたのか、興味があるなあ。