博物館にいると、まず絶対に出会うのが、妄想系のレファレンス。
なぜか年配の男性が圧倒的に多い。ジャンルは種々様々なんだけど、まずは歴史・考古学分野が多い。生物分野はどちらかというと珍しく、環境問題系は増えている。
ある面白いアイデアを思いついて、人にしゃべりたい、と思うことは誰にでもある。問題は、根拠の無い推測がどんどんふくらんでいった結果、そのことの確からしさを疑うことができなくなるってこと。自分のアイデアには根拠が無いということを忘れ、優れたアイデアを人に聞かせたい、すごさを確かめたい、そして世に広めたい、という状態になってしまう。ものすごくまともな人でも、年を取ってくるとこの傾向が現れてくることがあるので驚く。
イデアはアイデアとして面白さを認めることができる。けど、真実でない可能性を検証する方法がないアイデアは、妄想と呼ばれても文句は言えない。ということを念頭に置いているかどうかが、紙一重。その妄想の「確からしさ」について訊かれても、答えようがないので困るんです。まあ、ホントは自分の話を聞いてくれる相手がほしいだけで、検証は真の目的ではないんですよね。そんな話につきあわされるこっちの身にもなってほしいよ・・・。
過去に出会った妄想系レファレンスのいくつか。ここには書けないようなものもたくさんある。人間って実に色んなことを考えるものだと思う。
歴史ロマン系。「当県にある××という樹種は、坂上田村麻呂が贈り物として当地にもたらしたものではないだろうか。どこそこに生えている古い木は、ひょっとしてその時まさに田村麻呂が持ってきた個体では?」これは幸い、状況証拠から否定することができた。
次は社会系。「××という樹種は、昔から燃料に使われているのではないか?公園にたくさん植えれば、大災害があって野宿しなければならない時に燃料になるので助かるはずだ。公園に植えるように役所に言ってほしい。」前半の質問は形だけ。言いたいのは後半。