ふだん、高度な専門家として働いている人ほど、職業意識がアイデンティティと強固に結びついており、様々な状況変化に対して常に「専門家として」役に立とうとすることに固執する傾向があるように思えます。
学芸員」という職種は、実は「医師」や「弁護士」や「航空管制官」などに比べると、さほど高度な専門性を必要とする職業ではない。にもかかわらず、職業意識とアイデンティティの結びつきが日常的に強化される構造の中にある職種です。ひょっとすると「教師」とかもそうかもしれません。
自分では、そうした職業意識が自分の中に日々育っていくことを自覚しつつ、その反面、そこに含まれる過剰な自意識、あるいは自己言及性に対して、常に若干の嫌悪感を抱いてきました。乱暴に言ってしまえば、あまりに強い「専門意識」は、赤の他人から見るとかなりイヤミだし、滑稽にもなりうるということです。
地震の後で、改めて自分を「何者でもない自分」としてidentifyすることを意識するようになりました。その方が、精神的に健全でいられるし、自由でいられるということに気づいた、と言いますか。
とまあ、こんな文章自体が他人から見ると相当ウザイでしょうね。