大きな災害があった時、文化行政に関わる専門家に何ができるか。この問いに対しては、まだジレンマを感じている。
当初、「文化財は専門家でないとレスキューできない、現地には専門家がいないからダメ」と考える人が多くいたが、それは多くの場合幻想であり、専門家意識ゆえの傲慢だということは、今回の経験でよく分かった。実際には、現地では誰にでもできるようなことしかできない。というか、現地で必要なのはまずマンパワーと道具であり、それを調達できる人が最も有用なのだ。
では専門家は全く役に立たないのかというと、そうでもない。実際にやってみて気がついたのは、専門家と非専門家の最大の違いは、専門家はモノに対して必死になれるが、非専門家はそうではない、ということだ。普通の人にしてみれば、もっと優先すべきことがあるのになぜ今それを、と思われるようなことに、専門家は一生懸命になれる。遺体捜索が続いている横で、砂に埋もれた貴重な骨角器をレスキューしたいと思うのが専門家なのだ。そのように、感情を切り離して物事を考える思考回路を、専門家は訓練によって身につけている。被災地では、専門家が専門家である意味をもつのはほとんどその点においてのみである。
とは言え、未だにジレンマを感じる。ただ瓦礫を運ぶだけのような、あるいは石を洗うだけのような、専門家でなくてもできる(または、専門家でない方が上手くできるかもしれない)ような作業をさせるために、あえて専門家を現地へ派遣すべきなのか、という問題。現地に人手がなく、行こうと言ってくれる人が専門家しかいないのなら、ためらわずに専門家を派遣すれば良いじゃないか、とも思う。そこでつい「そんなもったいない」と思ってしまうのは、まだ不要な専門家意識を捨てられないからなのかもしれない。