カルテットで「フーガの技法」の練習。
1年経った今でも、「フーガの技法」みたいに人工的でマニアックな古い音楽に夢中になることはこの世界の現実から目を背けることである、というような疚しさを、どうしても感じる。この罪責感がどこから来ているかは自分でも分かっているから、大して気にしてはいないんだけど、だからと言って疚しさを感じないようになるわけじゃない、というところが難しいよね。
ふと思い出すのは、ヒドラに守られた美しい庭で、失われた古代の音楽を演奏するのに夢中になっていたクシャナの兄たち、みたいな感じ。