盛岡駅西口アイーナ4・5階で「ふるさとの記憶 いわて・失われた街・模型復元プロジェクト展」を見た。
壁に展示されていたパネルの一つに、「失われた街を悼む」という言葉があり、そうか、と思った。「懐かしむ」とか「記憶する」のとは少し違う、「悼む」という言葉。「悼む」ってどういうことかなあと考えながら見た。
模型を見る人たちの中には、その町に縁の深い人たちもいて、家族や知り合い同士で「●●公園どこ?さがして」とか「●●水産どこだ」とか「ここにしょっちゅう行ってたの」などの会話をしていた。「悼む」行為の一つに「それを話題にする」ということが間違いなくあるなあ、と思いながら聞いていた。2011年には、みんなが死んだ人や無くなったもののことを話題にしていたのだけれど、時間が経つにつれて、だんだん死んだ人や無くなったもののことは口にされなくなってきた。そういう中で「失われたものを話題にする」ことは、「悼むという行為」の一つなんだな、と。
このプロジェクト、本当に重要で素晴らしいと思う。目的は模型を作ることではなくて、模型作りに参加する体験、模型を見ながら話をする体験にある。そこには、博物館学や展示論の本などによく書かれている「博物館体験」と相通ずるものがあると思う。
「いわて」の展示会場に、あえて福島県浪江町請戸と権現堂、宮城県気仙沼市大沢の模型が展示してあったところに、一つの主張を感じた。多くの人は身近な岩手県の模型を見ていたけれど、あれを見て何かしら感じる人もいるだろう。
今回は展示されていなかったけれど、重茂や根浜、唐丹、崎浜などの模型もあるらしい。もっとたくさん、小友とか吉里吉里とか船越とか、どんどん作ってほしいなあ。