何人もの遠方の方が心配して下さって、メールを下さる。盛岡はじめ内陸市町村の被害の小ささが報道されていないので、岩手県にいる、ということで心配して下さるのですが。岩手県に限って言えば、地震による物理的な被害は全体としては小さいと言えます。ほとんどの被害は津波によるもの。なので、海に面していない所は、海に面した所に比べれば、被害がとても小さい。
だから、状況が違っていれば、内陸部の各市は、沿岸の支援基地として、もっと機能したはずだった。状況を厳しいものにしているのは、物流拠点である仙台とそこからのルートが機能を停止するほどの大きな被害を受けたこと。内陸部でも頼れるものがなくなり、支援基地としての機能が十分果たせないでいる。それで内陸部では今、役に立ちたいのに効果的なことは何もできないというストレスに、皆が耐えているような状態にあると思う。
東北の各都市は本当は陸の孤島であって、たった1〜2本のルートでなんとか支えられていたのだということに、今回のことで初めて気づきました。状況は、岩手よりも宮城・福島の方がさらに厳しいはず。この1週間のテレビ報道が岩手中心だったのは、岩手の被害が一番ひどいからではなく、空港が生きていて復旧作業が比較的早く、報道陣が入りやすい場所だったからに過ぎない。まだ大変な場所がたくさんある。

収蔵資料を守るのに協力するから沿岸の状況を教えて、という連絡も4つくらい来ているのですが。各館の職員の安否すらもまだ全ては分かっていない状況では、何とも答えることができません。あと3週間は待っていてほしい。
なぜこんなに時間がかかるのか。たぶん、東北に住んでいないとなかなか分かりにくいのだろうと思われるのが、地理的距離感です。以前にも書いたことがあるけれど、岩手県の面積はほぼ紀伊半島と同じ。大阪の位置に盛岡を、三重・和歌山の各市に沿岸市町村を置いてみると、だいたいの距離が分かります。真ん中に山地があるのも似ている。
非常に大きな違いは、紀伊半島の真ん中には奈良、北東には名古屋があるけれど、岩手にはそれにあたる都市がないこと。それから、紀伊半島のように縦横に道路が走っているわけではないこと。内陸市町村から沿岸市町村までの主なルートは4本くらい。車で峠道をいくつも越える必要があり、夏でも2〜3時間かかります。
ガソリンの供給が止まっていて、さらに通行が規制されているので、一般人の我々が沿岸に物資運搬と情報収集に行くことは、まだ難しい。やっとバスが復旧して、向こうに電話も設置されたので、これから徐々に情報が増えてくるものと思われます。情報が増えるということは、皆が内心で恐れているものがやって来るということでもある。それに対して、皆が耐える時間も必要です。

ちなみに。おそらく中越地震の経験などから、建物が壊れて資料が雨ざらしといった状況を心配されているのではないかと思うのです。今の段階では勝手な憶測は慎むべきですが、今回の災害でそういう状況に陥っている博物館・資料館は、たぶんほとんど無いのではないか、と思っています。理由は、被害が地震によるものではなく、津波によるものだからです。