つい最近、妙な考えに取り付かれ始めた。その考えが最初に頭に浮かんだときに思い出したのが、池澤夏樹の短編「眠る人々」(「骨は珊瑚、眼は真珠」所収、文春文庫)。良い小説とは言えない。内容がまとまっていないので、むしろ失敗作の部類に入るだろう。
でも、主人公の遼が語る漠然とした不安が、私の妙な考えとよく似ている。いま、再読してみた。それはこういう台詞で始まる。「しかし、なんだって、われわれはこんなに満ち足りているんだろうな?」この言葉の意味をただす友人達に、主人公はあれこれ説明を試みるのだけれど、うまくいかない。たぶん1991年当時の著者自身が抱いていた不安であり、主人公同様に上手く説明できない気持だったのだろう。「気がついてみれば周囲の誰もが基本的には満足して、余裕をもって、生きている。なぜすべてが人間にとってこんなにうまくいくんだ?どうしてそれが何年も続くんだ?」
私の妙な考えは、仙人峠の帰り道にふと浮かんできた。ちょっと雨に濡れたけれども楽しい仕事の帰り、外はざあざあ雨なのにぬくぬくと自分の車で、大好きひとりドライブ。「なんか、うまくいきすぎているような気がする。これは本当に現実なのか?ひょっとして私はどこかの時点で、もう死んじゃってるのでは?」錯覚には違いないけれどもあまりにはっきりした、それなのにうまく説明できない、浮遊感のようなもの。
さらに奇妙な話だけれどこの感覚、実はかなり人類普遍的なものなのではないかという気がする。自分でも脳の中で、すごく典型的な回路を辿っている感じがする。さて、どうでしょうね?