まだ日誌をつけていなかった頃、岩渕先生に言われたことで、どうしても忘れられない言葉がある。博物館に就職して半年くらい経った頃だったと思う。「あなたがやりたいこととは違うかもしれないけど、標本の仕事もしないといけないよ。」というような意味の言葉だった。正直、かなりショックだった。
4月に着任してすぐ、所属課長に「まずは分野の仕事より課の仕事を優先しなさい」と言われて、素直すぎる自分はそのとおりにやっていた。所属課の仕事はその当時、広報と教育普及で、全体としてかなりの量だった。何しろそれまでろくな仕事をしたことがない新人なわけで、最初の半年は事務仕事をこなすだけで精いっぱい。標本庫のことを考える余裕なんてなかった。
植物担当学芸員は私一人なので、周りにハーバリウムワークを指導してくれる人もなく、何をしたらいいのかもよく分かっていなかった。もっと正直に言えば、大学・大学院の所属研究室で、標本に関するまともな教育を受けたことが一度もなかった。標本の扱い方から何から、就職した後に勉強を始めたのだ。
内情はそういう理由だったのだけれど、毎週標本庫で標本を触っておられた岩渕先生は、私が自分の専門にこだわっていて、標本のことを軽んじているように思われたのかもしれない。言われた時は「課の仕事が大変で・・・」とかなんとか弁解したような気がする。でもそれからは、意識して標本庫の仕事にそれなりのエネルギーを注いでいくようになった。
そんなわけで、先生に対する初めの頃の印象は、穏やかだけれど本当は厳しい人、というものだった。その後、様々なことがあって、少しずつ修正されていくことになる。