三連休で電話回線の修理と家の大掃除と衣替えをやりました!充実感。その後で三連勤。
花巻市高村光太郎記念館と宮沢賢治記念館がリニューアルしたと聞いたので、見に行って、改めて文学館の展示って難しいんだなあと分かった。

高村光太郎記念館は、高村光太郎終戦後の7年間を暮らした山裾にある。とても気持の良い場所なのでおすすめ。行った日は沿道にあるリンゴの果樹園が花盛りだった。
記念館に入って最初の部屋は彫刻の展示室で、その奥の部屋に書や出版物、遺品、映像などが展示されている。展示のテーマは当然ながら高村光太郎が花巻で過ごした7年間を中心にしていて、それはそれで成功していると思う。ただ、ここを見ても高村光太郎の有名な詩や文章にはほとんど触れられないので、この人がすごい詩人であったことを知らない人にはピンと来ないだろう。そういう意味では、高村光太郎について基本的なことはみんな知っている人、光太郎のファンたちに向けて作られていると言って良いと思う。
花巻で光太郎が彫刻をしなかったことの理由として、映像では理由が分からないとしていて、展示では戦争協力に対する自己批判のためとしていたのが興味深かった。光太郎の晩年の文章を読みたくなってきた。その他にも、初めて知ったことがいろいろあって楽しかった。岩手県にはかつて県立美術学校があって、それが今の特美につながっているということとか。
気になったことが一つ。なぜか年表には、智恵子が入院したことは書いてあっても亡くなったことが書かれておらず。あれは忘れたのかわざと抜いたのか。
記念館の隣には、光太郎が暮らした小屋「高村山荘」がある。小屋が壊れないように、二重の建物で覆われている。外側のコンクリの建物と内側の木造の建物の間に通路があり、そこをぐるりと巡って小屋を見学するようになっている。通路には古い説明パネルがいくつも展示されていて、その文章が教養豊かで難しく、時代を感じさせてとても良い。これもよく光太郎の文章を知っている人向けだったんだろうと思う。
通路をぐるっと回って見学していた時、小屋を囲む内側の建物の床の通風孔にアオダイショウが潜り込もうとして、しかし格子の隙間が狭いためにずいぶん時間がかかっており、それを小さな男の子が見つけて大興奮していた。
それにしても今の若い人は、高村光太郎の詩なんて学校で習っているのかなあ。。。
私が通った中学校は修学旅行が北東北一周で、かつ国語教育に熱心な学校だったので、高村山荘も見学地の一つだったのを覚えている。修学旅行に出かける前に、光太郎と賢治と啄木の有名な作品はひととおり読んだと思う。

次が宮沢賢治記念館。続きはまた。