「春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと」(池澤夏樹著・中央公論新社・2011年9月発行)読了。1時間くらいで読める薄い本。
アマゾンにおすすめされたので一昨日の夜に注文したら、今朝9時にクロネコの人が届けてくれた。早い。この人は我が職場の集荷・配達の担当でもあるので、顔見知り。全国に送る大量の陸高の標本の半分くらいは、この人に預けた。向こうも私のことを知っているので「今日はお休みですか」って。

池澤夏樹の小説はほぼ全部読んでいる。大好きな作家だ。でもエッセイや文学評論等は多すぎるので3分の1も読んでいないと思う。
この人は、東北とはそんなに深い縁はなかったはずだけど、どんなことを書いているんだろうか。読む前に心配していたのは、自分の位置と距離がありすぎたらどうしようということだったけれども、そういう心配は要らなかった。かといって近いわけでもない。「被災地」へは取材で入って、人々に話を聞いて、書いている。
どれもちょっとずつのエピソード。だから、実際に現地で苦闘している人が読むべき本ではない。われわれ外側の人間、ちょっと遠い・かなり遠いくらいの距離の人が読んで、一つの意見として考えるのに「程よい」内容。宮城と岩手の人たちに会ったことは書かれているが、福島の人たちについてはほとんど書かれていない。それはきっとこれからなのだろう。
原子力発電のこれからのこと、エネルギー政策のことは、これまでにこの人が書いた文章と、立ち位置もトーンも変わっていない。立場は明確で(原子力発電は止めていくべき)、トーンは理性的で楽観的。

実は、自分にとって一番重かったのは第一章「まえがき、あるいは死者たち」だった。死んだ人たちのことをちゃんと考える時間がまだ持てていないからだ。自分の書く原稿に、亡くなった人々を悼む言葉を入れることが、まだできない。

しかし背景には死者たちがいる。そこに何度でも立ち返らなければならないと思う。

死は祓えない。祓おうとすべきでない。