鳥羽源蔵コレクションの再評価 その2

コレクションにタイプが含まれているか否かで価値の高低が決まるのは、分類学的な評価軸。この軸で言えば、タイプ以外の標本はいわば「雑魚」である。しかし現代では、標本は生物学の様々な場面で利用されていて、価値も多様化している。タイプの有無以外の評価軸についても考えてみる。

例えば、生物相の変遷を示す証拠としての価値。
この軸で考えると、鳥羽源蔵の植物標本の中で最も重要なのは、1890年代から1930年代までに三陸で採集された標本だろう。この時代にこの地域で採られた植物標本は、今では鳥羽源蔵のものしか残っていないと思われる。
例えば鳥羽コレクションからは、高田松原の後ろ(陸側)にあった古川沼の、昔の水草相を知ることができる。戦前に古川沼に生えていた水草は、環境変化によって1980年代には消滅した(現在は、沼そのものが津波で消えてしまった)。また、1980年代に埋め立てをした小友浦で、埋め立て以前に採集された海藻標本も興味深い。
もちろん、たびたび津波に遭い、今回の大津波で消えてしまった高田松原の標本も重要だ。その意味では、鳥羽源蔵の採集標本にとどまらず、高田の人たちが継続的に採集してきた現代までの標本も価値がある。

もうひとつ、歴史的な価値。
鳥羽コレクションには、三陸産の他に、盛岡周辺や岩手山早池峰山等で採集された標本が多数ある。ただこれらの場所については同時期の標本として盛岡高等農林の山田玄太郎・沢田兼吉らの標本が多数存在するので、鳥羽源蔵が only one というわけではなく、三陸の標本に比べれば価値は多少下がるかもしれない。
とは言うものの、鳥羽が早池峰山で最も早い時期に植物採集をしたのは1903年。これは牧野富太郎・加藤子爵らの調査に先駆けること2年早く、おそらく須川長之助・フォーリーに次ぐ早さではないかと考えられていて、学史的な価値はあるだろう。
1903年に鳥羽源蔵が早池峰で何を採っていたか、全容把握はこれからだ。カトウハコベなんかを採っていたとしたら、なかなか面白いと思う。