冬を前に気持が暗くなるのはいつものことなんだけれど、10月初めからというのはちょっと早すぎるよなあ。年々早くなっているような気もする。なぜ気持が暗くなるかというと、まず「寒いのが怖い」。とにかく、戸外が寒いのがつらい。次に「仕事のプレッシャーがきつくなるのが怖い」。年末とか年度末とか、仕事の締め切りが近づいてくるのがつらい。
何か楽しいことをして気をまぎらわすことも考えるけど、まあ、あまり有効な手だてはないのであった。寒さも、仕事のプレッシャーも、物理的なものなので、気分でまぎれるようなものではないのだ。渦の中に巻き込まれてしまえば、あとはもう必死で息を吸って泳ぐしかないんだけど、その渦に飛び込む前が怖いのよね。
これはいわゆる冬季鬱(季節性うつ病)なのかなあ、とも疑っている。それなら、朝に日光を浴びれば良いのかな。

いつ書くか

書かなければならない原稿がたまっている。「たくさん書く」ためには、1日のうちで書く時間を決めるべきということなので、いつの時間帯にすべきかを考える。勤務中の8:30から17:30は論外。以前、15分間のタイマーをかけてその間は書くことに集中する、という仕事法を職場で試したところ、電話や相談など、何らかのインタラプションのない15分のセッションは1回もない、という結果に終わった。いつでもだいたいそんな感じなので、論外。
となると早朝か夜だが、まだ朝は苦手なので必然的に夜になる。でも21時以降は大して頭が働かないことが分かっているので、17時30分から21時の間。職場も18:00-19:00は静かなのでここは良い時間帯。あるいは、無理して18時に帰宅すれば、20時までに夕食を済ませて20:00-21:00に書くことにするのも良さそう。その代わり、21:00-23:00はこまごました事務仕事を家でやることになるけど。
休みの日はというと、今は1週間に1日くらいだけど、日中はほとんど溜まった睡眠と家事に費やされているので、2時間くらいなんとか確保するとなると、やはり夜かなあという感じ。17:00-19:00とか、19:00-21:00とかは良いかも。

久々の更新。本日のIT御用聞き係の失敗について。
7:30に自分は出張へ出発。8:30始業後に館内の共有サーバがダウンしていることが判明したらしい。で、職員がサーバの電源を入れたものの、ネットワークに認識されない。ここで私の携帯に電話をかける人がいればまだ私は捕まったはずなのに、なぜか誰もかけて来なかった。その後、9:20に私は携帯電波の通じない山の中へ入ってしまい、15:00まで出て来られなかった。9:46に私の職場アドレス宛に不具合を知らせるメールが送られていたが、当然にも読まず。
午後になって、インターネット回線自体までが不通に陥ったらしい。14:34に携帯メールアドレスに状況を知らせるメールが届き、これは微弱電波でキャッチ。でも電波がないので電話はかけられない。自分が電波の届くところへ出てから館へ電話をかけたのが15:13。状況を尋ね、ルータの再起動と管理業者への連絡を指示。管理業者はお休みだったが、ルータの再起動でネットワークは回復したらしい。でもそれを知らせる連絡は、電話ではなく職場アドレスにメールが送られたのみ。
自分は2.5時間の運転の後、17:00に館に到着。急いで共有サーバを見たら、起動してはいるけどネットワークに認識されていない。で、再起動したらあっさり認識されるようになった。
本日の教訓は、
・「不具合が見つかったらすぐにIT御用聞きの携帯電話へ電話をかける」ことの必要性が認識されていない。遠慮してる。
・IT御用聞きと連絡がつかない場合のバックアップ体制がない。
・バックアップ体制がないのに当番の日に御用聞きが電波の届かない所へ出張に出てしまった。
・ネットワークに不具合があったらとりあえず再起動してみよう、と思う人が他にいない。
・ルータと共有サーバの再起動の方法が誰にでも分かるように示されていない。
って感じかな。
で、不具合の原因は不明。月曜に業者に相談する予定。

前の記事でレファレンスサービスについて書いたんだけど、これは主に自治体からの依頼の話。つまり本来はちゃんと予算をつけるべき仕事に関する話。そこをはっきり書かなかったのはまずかったです。個人からのレファレンスに労力を惜しむことはありません。ただし現状は、個人からのレファレンスに対しても回答までに異常に時間がかかっているのが悩みの種。どんどん宿題がたまっていくばかり。年単位で抱えているレファレンス案件がいくつもあります。

博物館の仕事は公的奉仕の部分がとても大きい。特にレファレンスサービスにはキリがなく、ここまでやるべき・ここからはやるべきではないという規程もない。最近なぜか日々迷ってしまう。依頼を受けて、休みの日を半日つぶして画像を解析し報告書を書いても、朝早くから講師に出かけて支給された交通費が実経費より安くても、報酬は受け取れない決まりなので、つまり実質はこちらの赤字だ。こういう依頼を受けて良いのかどうか、それとも受けるべきではないのか。
と言いつつ、迷う理由は圧倒的に時間が足りないからだ。業務時間の中でこなせているうちはいくらでも奉仕すればいいんだけど、そうでないから迷うんだよね・・・。

5月2日に高村光太郎記念館と宮沢賢治記念館へ行った話の続き。光太郎記念館については前の日の記述に。
宮沢賢治記念館のリニューアルは県内では結構大きく宣伝されていたので、大きく変わったのかと思って行ったのだけど、構造的にはあまり大きな変更は無かった。映像機器が一新されていたのと、特別展示室の窓が無くなってきれいになっていたのが目立つ変化。以前と同じで、常設展示室は大きな部屋一つ。中央に映像機器があり、四方の壁に小さいパネルがいくつもある、という構造は変わっていない。

入って歩いてみてすぐに、展示レイアウトの問題を感じる。まずいのは、部屋の四隅の、壁から1.5mくらいのところにそれぞれケースが置いてあること。これのせいで、人が壁に沿ってパネルを読みながら歩いて行くと、角のところで必ず渋滞が起きる。立ち止まっている人を迂回するにはケースが邪魔で、ケースの周りにはそれを覗き込んでいる人々もおり、さらに遠回りをしなければならないからだ。これがすごく複雑な動線を生んで、フラストレーションを与えている。あと、壁パネルの字が意外と大きいので、読みやすい距離まで離れようとするとケースやケースを見ている人にぶつかりそうになる、という問題もある。設計時に気付かないものかなあ。来館者が少ない館なら良いけど、宮沢賢治記念館は県内でも人気のある方なので、混雑時のことを考えたレイアウトが必要だと思うんだけど。

展示コンセプトは、賢治の作品世界を5つのキーワードで表し、それぞれをイメージで伝えるというもので、これも基本的には以前と同じだったような気がする(けれど、前の展示がよく思い出せないので違うかも)。キーワードは「科学」「芸術」「宇宙」「宗教」「農」。それぞれと関連の深い作品の断片や、絵画や写真をパネルにし、モザイク的に壁に設置するとともに、中央の空間を取り囲むように設置された大きな5つのスクリーンに、それぞれイメージ映像を次々に映し出す。「イメージ映像」というのは、断片的な写真が浮かんでは消え浮かんでは消えするのみで、それを解説するテキストがほぼ与えられないからだ。
例えば、「宗教」のコーナーでは、賢治が法華経を深く信仰し国柱会に入って奉仕活動をしたということがパネルを読めば分かる。一方、「宗教」のスクリーンは、何となくインドと中国の仏教遺跡などを映し出している。でもその関連性が、見る人にはほとんど分からない。知りたいのは、国柱会とはどのような組織で、当時どのような社会的背景があって賢治がそこに入るに至ったのかということだし、さらに言えば、その宗教が賢治のどんな作品にどんな風に反映されているのか、ということなんだけど、それは展示から読み取れるようにはなっていない。誰でもこの映像の意味は何なんだろうと不思議に思ってしまうよね。

この展示を見て、やっぱり文学館の展示って難しいんだなあと思った。
その理由は、作品の中身自体がほとんど伝わってこないからだ。賢治の作品をいくつも読んだことのある人が、そのイメージ世界をより豊かなものにできるように、という意図で作られていると考えるべきか。

宮沢賢治記念館は、高村光太郎記念館とは位置づけが異なる。光太郎記念館は作家が7年間滞在しただけの異郷にあるので、その部分を中心にすれば良い。が、賢治記念館は作家の故郷であり生涯の本拠地であった花巻にある。言わばここが本山だ。そのわりに、賢治の主要作品そのものに触れる展示が少ないのはどうも不思議だ。
それはそうなんだけど、では作品そのものに触れる展示とは一体どういうものかと考えると、そんなものは無理なのかもしれないと思う。
(まだ続きます)

三連休で電話回線の修理と家の大掃除と衣替えをやりました!充実感。その後で三連勤。
花巻市高村光太郎記念館と宮沢賢治記念館がリニューアルしたと聞いたので、見に行って、改めて文学館の展示って難しいんだなあと分かった。

高村光太郎記念館は、高村光太郎終戦後の7年間を暮らした山裾にある。とても気持の良い場所なのでおすすめ。行った日は沿道にあるリンゴの果樹園が花盛りだった。
記念館に入って最初の部屋は彫刻の展示室で、その奥の部屋に書や出版物、遺品、映像などが展示されている。展示のテーマは当然ながら高村光太郎が花巻で過ごした7年間を中心にしていて、それはそれで成功していると思う。ただ、ここを見ても高村光太郎の有名な詩や文章にはほとんど触れられないので、この人がすごい詩人であったことを知らない人にはピンと来ないだろう。そういう意味では、高村光太郎について基本的なことはみんな知っている人、光太郎のファンたちに向けて作られていると言って良いと思う。
花巻で光太郎が彫刻をしなかったことの理由として、映像では理由が分からないとしていて、展示では戦争協力に対する自己批判のためとしていたのが興味深かった。光太郎の晩年の文章を読みたくなってきた。その他にも、初めて知ったことがいろいろあって楽しかった。岩手県にはかつて県立美術学校があって、それが今の特美につながっているということとか。
気になったことが一つ。なぜか年表には、智恵子が入院したことは書いてあっても亡くなったことが書かれておらず。あれは忘れたのかわざと抜いたのか。
記念館の隣には、光太郎が暮らした小屋「高村山荘」がある。小屋が壊れないように、二重の建物で覆われている。外側のコンクリの建物と内側の木造の建物の間に通路があり、そこをぐるりと巡って小屋を見学するようになっている。通路には古い説明パネルがいくつも展示されていて、その文章が教養豊かで難しく、時代を感じさせてとても良い。これもよく光太郎の文章を知っている人向けだったんだろうと思う。
通路をぐるっと回って見学していた時、小屋を囲む内側の建物の床の通風孔にアオダイショウが潜り込もうとして、しかし格子の隙間が狭いためにずいぶん時間がかかっており、それを小さな男の子が見つけて大興奮していた。
それにしても今の若い人は、高村光太郎の詩なんて学校で習っているのかなあ。。。
私が通った中学校は修学旅行が北東北一周で、かつ国語教育に熱心な学校だったので、高村山荘も見学地の一つだったのを覚えている。修学旅行に出かける前に、光太郎と賢治と啄木の有名な作品はひととおり読んだと思う。

次が宮沢賢治記念館。続きはまた。

「大津波三陸の生き物」展では、津波以前のことがちゃんと展示できるかがキモになると思う。あとたぶん、風景写真がキモ。
昼前に電話回線の修理依頼をしたら、さっそく今日来てくれるというので、夕方遅くかなと思いながら掃除をして待っていたら、昼過ぎに来た。専門学校を出たばかりのような若い子と、60をいくつも過ぎているようなベテランのおじさんのコンビ。高所作業車で、まず電柱から分岐している電線を張り替え、引っ張って家へ引き込み、軒下を這わせて、地面に入る線につないだ。高所作業車のエンジン音を含めて、かなりの騒音。ここまで大掛かりな工事になるとは予想していなかったので、お隣さんに何も言っていなかったのはまずかった。約3時間の工事。
おじさんが言うには、屋根の雪が落ちる時に線を傷つけたのだと。私もそう思う。ひどい雑音が入るようになったのは3月半ばで、大雪の後。完全に断線したのは、4月の大雨と大風の後。
工事が終わったら、もちろん電話も使えるし、ネット回線も使えるようになってすっきりした。で、修理後にかかってきた一番目の電話は、UNHCRからの寄付依頼だった。なんかすごいな。
工事が終わるのを待ちながら家の中の大掃除をして、はずみがついてカーテンまで洗濯してしまった。コタツ布団も片付けた。夏のように暑いので、洗濯物がすぐに乾く。

来年の冬に、大津波三陸の生き物の展覧会をやることになりそう。今春は、津波後に生えた湿地性の植物について、レビュー論文と日本語コラムを書くことになっている。それを皮切りに、たくさん論文や文献を集めることから始める。今年中には色々出ると思うので。過去との比較に、古い標本も使いたい。あまり記録は多くないけれど。
それはいいんだけど、仕事量が完全にオーバーフローしていて、もう自分でどうにかマネージしようという気も起こらない状態になっている。日ごとのToDoリストを作っても、途中で飛び込みの仕事がどんどん入って来るので、リストの内容をろくに覚えていられないし、半分もこなせない。夕方になってリストを見直すと、あまりに達成度が低いのでがっくりくる。飛び込み仕事は待ったなし状態で休日にまで入ってくるので、どうしようもない。自分で仕事を減らせるわけではないので考えても仕方ない。「ないない」だらけ。軽く鬱。
今朝は出勤してまずIT御用聞き60分、ボランティアさんに30分、急ぎの見積書類を作るのに30分、ミーティングに45分、新しいプリンターをつなぐのに30分、標本データ整理に60分、講座の依頼電話を受けたり電話をかけたりメールに返事を書くのに90分、って感じ。これでもまだ職場にいた時間の3分の2くらいなんだけど。おかしいな。残りの時間はどこへ行ったんだろう。
あ、思い出した。共有フォルダに入っていて書き込みできなくなったファイルをなんとか直そうとして90分くらい使ってた。でも直らなかった。。。なぞ。

庭のミズキに初めて花芽がたくさんついた。2006年に玄関脇から庭へ植え替えた木だ。この時たぶん2〜3歳だった。ということはこのミズキは11年程度で繁殖年齢に達したということになる。ちょっと遅いかな。こんなものかな。
去年、庭のすみにノウゼンカズラが出ていることに気付いた。正確には、変な葉っぱがあることに気付いて、何だろうと調べたらノウゼンカズラだった。株としてはそこそこ年をとっている様子だから、ずっとそこにあったには違いないのだけれど、サイズは小さい。今年から支柱を立てて大きく育てることにした。
自宅の電話線が切れてからだいぶ経つが、まだ修理依頼ができない。家の掃除をしてからでないと修理の人に入ってもらえないからだ。家の電話線が切れても特に困ることがないので、余計に対処が遅れている。ただ料金を無駄に払っていることが気になるので、この連休中になんとか目処をつけよう。
ちょっとあれこれ手詰まり感があって、打開策に日誌を再開するつもり。




本日の研究時間は0分。
お掃除0.5時間、会議準備に1時間、会議に1.5時間、会議後の資料改訂に0.5時間、IT御用聞きに2時間、業務ツイート0.5時間。ホームページの改訂0.5時間。活動資金確保のための書類作成に4時間。そんな感じ。

今のところ、テザリングで何の問題もなさそうに思う。ダラダラとネットにつなぎ続けるよりは良いかも。問題があるとすれば、資料データベースにアクセスする時かな。職場に行かずに家でデータベース上の作業をしたい時には、さすがに支障があるかもしれない。

一昨日から自宅のネットワーク接続がうまくいかなくなり、あれこれ試すとどうやら原因はモデムにあるらしく、サポートを受けようと契約を確認していたら、今のモデムは2003年3月から使用し続けているということが分かり、そりゃあ壊れることもあるよねと。で、接続サービス会社のサポートに電話をしてみると、初めから終わりまで全て自動音声の応答によって、無料モデム交換と相成り、数日後に宅配便が来て新しいモデムと交換してくれるらしい。
そこでふと、果たしてこのサービスを使い続ける必要があるのかという疑問が浮かんだ。電話をする前に考えれば良かったのだけれど、だいたいこういう根源的な疑問はトラブルが解消して安心した頃にぽかっと浮かんでくるものだ。
そもそも自宅のネットワーク接続はADSL回線で速度は100Mbps、有線LANのみで、費用は月々3,800円である。いまどき・・・という状態なのは分かっているけれど、光や無線に変えるのが面倒だったのだ。これを止めて、例えばスマートフォンを契約している通信会社からモバイルルータを借りることにすれば、月々4,600円で、どこでも接続できるようになる。でもそれならいっそ、今のスマートフォンテザリングしたっていいのではと思い付いて、初めてテザリングというものをやってみた。すると速度は62Mbpsで、60分つなぐと通信量はだいたい30Mbくらい。ダウンロードするのはテキストと写真のみだから。スマートフォンの契約は月に7Gbまでは定額5,700円で、単純計算で日に200Mbは使える計算だ。今までは、月平均で300Mbしか使っていなかった。なんともったいない。
ほんとにこれで済むならば月に3,800円が浮くわけで、試しにこれで数日やってみようかと。無理ならプロバイダーを解約しなければいいだけの話。
というわけで、日誌もテザリングで更新してみた。

午後、3つの館から一度に戻ってきたトラック2台の資料100点を4つの収蔵庫に振り分けて、借受側3館と貸出側2館の学芸員に同時並行でそれぞれ状態チェックしてもらい、それぞれに収納するという作業をやって、約4時間でおおかた終了した...。ぐったり...。明日の朝の分がちょっとだけ残った。もう一人いれば楽なのになあ。

22日の朝に獣医さんにひなたを連れて行って、全身麻酔で歯の治療をしてもらい、23日の午後に連れて帰ってきた。先生の説明によると、治療の前に血液検査をしたら、薬が効いて肝機能腎機能は回復していて、コレステロール値以外は正常値だった。で、全身麻酔をして歯科治療に入った。猫の歯によくできる破歯細胞性吸収病巣というのがいくつかの歯にあり、歯がほとんど無くなって骨が出ている部分は、削って歯茎が覆うようにした。それから歯石で覆われている歯を、歯石を取ってきれいにした。予想に反して、それ以上ひどいものは無く、抜歯はしなくて済んだ。歯茎の腫れは薬で治まった。
「年を取っているので」麻酔から覚めるのが遅かった、と言われた。まだ12歳くらいだと思っていたひなたさんが、年を取っていると言われると、やっぱりちょっとショックだ。麻酔による内臓の負担を減らすため、1日は点滴をしてもらっていた。緊張のせいか、ごはんは食べなかったそうだ。
病院で受け取って車に乗せたひなたさんはわりと元気で、点滴針を抜いた後に貼られたガーゼをむしり取った後は、バッグから出て車の窓の外を眺めたり、またバッグの中に戻ったりしていた。家に帰った途端にトイレに駆け込み、鳴きながらたくさんおしっこをして、興奮して絨毯をバリバリとひっかき、それからガツガツと薬入りのごはんを食べて、さっと2階のベッドの上に行って寝てしまった。
餌に混ぜる薬にも慣れてきたらしい。これはネフガードという薬で、簡単に言うと真っ黒な炭の粉。餌に混ぜるとイカ墨パスタのようになる。これを食べさせることで、炭の粉に体内の尿素を吸着させて排出しやすくするという。
夜になってもずっと寝ているので呼ぶと、元気に下りてきて、また炭入りのごはんを食べた。膝に乗ってきたところで錠剤を喉に押し込み、水を飲ませた。飼い主も錠剤を飲ませるコツがちょっと分かってきた。
なんとなく甘やかしたくなって夜は一緒に寝たが、夜中に3回も枕元に飛び乗ってきてその度に起こされた。時々鼻を舐めてくるので、口臭が全くなくなったのはとても助かる。
先生に、猫の歯磨きについて訊いてみたところ、綿棒を水に浸して、それで歯を拭うのが最も良いと言われた。そうやって歯垢を取っていれば、歯石がたまるのが遅くなるという。歯ブラシや指でこすると歯茎が痛い時もあるが、綿棒ならば痛くないし、綿棒を見て逃げ出すこともないからと。確かにそうだ。
ちなみに、今回の治療費は45,000円。予想よりだいぶ安かった。